Vol.2

井山 直子
◆四年越しの夢

フラメンコを学んでいる人にとって、本場のスペインで学びたいというのは共通の願望だと思う。私もよく分からないながらも、漠然と、将来絶対スペインへ留学するぞ!と心に決めて、それを目標に、仕事をしてお金をためていました。
そんな中、去年の秋にちょっとしたハプニングがあって、突然今年の6月の出発がきまったのです。
一人暮しはもちろん国内の一人旅さえしたことがない私。スペイン語だってまだよく分かっていない。本当に行って私のフラメンコが良くなるのだろうか?
自分にまだ自信がないので慶子先生がいない状況で一人でやっていけるか不安だった。
でも、人生最大のビックチャンス、あたってくだけろ!!!!というわけで、6月1日私はスペインはセビージャに降り立ったのでした。


>>vol.1  異国!
セビージャに住んで一ヶ月ここは、生活リズムが日本と全く違います。
2時から5時くらいまでのシエスタの時間は、ほとんどの店が閉まり、通りには旅行者がぱらぱら通っているくらいです。夜は10時半すぎくらいにようやく日が落ちてくるので時間の感覚がめちゃくちゃです。(一回シエスタでねているし…)フラメンコのクラスはどこも日本人が沢山いるし、city bankやインターネットカフェでも日本語が使え、住みやすいです。お米もこちらのもので、おいしく炊けるので不自由しません。食べ物はすべてとてもおいしく、とても安いです。外食は、よほどのことがないとしませんが、おまけほしさに、今日、マクドナルドのハッピーセット(happy meal)を買ってしまった。お国がらのせいか、日本のマックのおもちゃの2倍くらいデッカイです。今のおもちゃは、映画とのタイアップで、くまのプ−さんのぬいぐるみです。余談ですがアイスはどこの店も300ペセタくらいでとても高いのになぜか、マックではソフトクリームが50ペセタでかえます。一回たべてみたら、ちゃんとおいしかったです。こちらでもポケモンが人気で同じフラメンコのクラスの、すごくうまいスペイン人の女の子の腕時計もポケモンのイラスト付きでした。その他テレビでは、朝、セーラームーンをやってぃます。(なんのこっちゃ!)7月に入りどこの店もrebajasで30%から50%くらいまで値下げしています。エルコルテイングレスもはりきって一週目だけ、日曜日も営業していました。(通常日曜日は飲食店を除く全ての店はお休み)
治安は、スリが多く友達が2,3人やられています。
フラメンコの練習もとても楽しいです。ほとんどの教室は基礎練がなく、振りではじまり振りで終わるので、自習がとても、とても重要です。 また、練習以外のときも、(例えば)語学学校の皆で飲んでいる時などnao!baila!venga!とよく言われ、そんな時もブレリアを踊ります。まだ言葉でうまく コミュニケート出来ない私にとって踊りは大切で、皆驚くけれどとても喜んでくれるし、仲良くなれます。
色々な事があったけれどあっという間の一ヶ月でした。
あ〜もう一ヶ月かぁ〜

>>vol.2
[語学学校編
]
9月に入り私の留学生活も第二ステージを迎えつつある。
6、7、8月は、とにかく毎日目が回るほど忙しかった。
語学学校とバレエの自習練とフラメンコのクラスと宿題で飛ぶように時間が過ぎていった。
そして、すごい暑さ・・・。
語学学校のクラスで日本人は私一人。
欧米の皆はある程度授業が進むと突然凄い勢いで上達する。
何時の間にそんなに喋れるようになったのー?という感じだ。
そして日を追うごとに授業は難しくなりそれに正比例して宿題も難しくなる。
フラメンコのコンサートがある夜は、宿題を持参し、待ち時間や休憩時間にやった。

分からない所は、その辺の人に聞くとよく教えてくれた。

しかし、9月はビエナルの月、もうこれ以上予定が増えたら私、倒れてしまう!!ということで、クラスを個人クラスに変更してもらい、週3回学校に行けば良いことにした。
私の先生は、とてもフレンドリーで、元気よく机の上にあぐらをかいて教えてくれる。
語学の他にトルティージャの作り方や、図書館の場所、安いお店の場所も教えてくれる。
私が絵を見る事が好きだと知ると、ダリの画集も貸してくれた。

語学学校の先生や、生徒の中では通じるのに、そこらへんのおじさんには私の発音ではまだ上手く伝わらない。これからは実践あるのみだ。

[思ったこと編]
セビージャで暮らして気がついたこと、感じたことがいくつかでてきた。

・ここに暮らす人は喜怒哀楽が激しいけど、そのほうが、毎日の生活が楽しめるという事。
毎日の生活が、ハモンセラーノのように、味わい深くなる。またそれが、フラメンコの大切な部分だとも思う。

・ハレオをかけるときや、カンテを歌うとき、何か特別な声の出し方をしているのかと思っていたが、彼らは、普通に声を出すと、あのような声になるのだという事。
語学学校の先生達も、踊らないけど歌はよく歌う。皆、あのような声になる。
フラメンコ公演の時、客席からとぶハレオもカッコイイ。

・ビナエルも始まり、沢山フラメンコを見る機会があって、その時かんじたことは、演者のテクニカや、コンパス感もさることながら、彼、または彼女のフラメンコに対する姿勢というか、思いがとてもよく見える、という事だ。
そして、私は何よりもそこに感動し、幻滅もする。
上手くてきれいなだけの踊りより、まだ上手く出来てなくても、フラメンコの思いが詰まっているほうに感動する。
凄いアルティスタほど謙虚で、まだ自分はできていない、なんて言う。
気持ちの面でさえ、私はまだまだ足りない。

[日常生活編]
昨日(18日)セビージャに来て初めて雨がふった。驚いた。
絶対泣かないと思っていた人が泣いた、という位驚いた。
そして、急に肌寒くなってきた。
ショウウィンドは、かわいい秋物の服がかざってある。欲しい・・・

暮らしにも慣れてきたので、ここら辺で一つ食べ物の冒険をしてみよう!と思い、いろんな種類のチーズや、ハモンセラーノなど少量ずつためしている。これが泣けるほどおいしい。値段のことを考えると、更に泣けるほど嬉しい。(安い!)
調子にのって食べまくっていたら、お腹をこわしてしまい、お粥の毎日が始まってしまった。
日本食はありがたいです。


>>vol.3

11月10日ファルキートのペーニャがマカレナであった。
カンテやギターにマイクはなく、生音で聞かせる、小さなバルで、行われた。
私はなんとその一番前の席でみてしまった。
私の後ろにはファルキートの弟ファルーコをはじめ、 その従兄弟や、ファルキートに習っているチビっ子達5人がすわっていた。
会場は、満席で、バルの外には入れなかった客たちがあふれかえっていたそうだ。

カンテが始まり、会場が一気にフラメンコの空気になった。
カンテの一曲が終わり、アレグリアスのギターが始まった。
そして、気づけば、ファルキートが舞台にのっていて 最初のジャマーダで、一気に会場が真空状態になった。われんばかりのole!!の ハレオ。
目の前で行われている事に頭もなにもついていけず、目を開けているだけで 精一杯だった。
彼は、すでにファミリア・ファルーコの王子ではなく、王様であり、伝説になってい た。
2部のソレアは、さらに深く濃く強く恐ろしかった。
レトラ(歌)のマルカールのなんてフラメンコなこと!!!
サパティアートのなんというセンティード!!!! トレロのように瞬間瞬間をグサグサさしていく。

?ラ ペッラ!!(鞭で打つという意味)?
??オレ!マイストロミーオ(オレ!僕の先生)?
??マキナ エスクリビール!(タイプライター)?
後ろからチビッコ達のハレオが聞こえてくる。

?プリンシペ!(王子!)?
??インディオ ヒターノ!(インドのジプシー)?
??テ キェーロ テ キェーロ!!(あなたを愛している!)?
??エソエ フラメンコ プーロ!(それこそが本物のフラメンコだ!!)?
会場もハレオが沸いている。

最後のブレリアでなんと後ろのチビッコ達が全員でてきて 一人ずつ踊った。全員小さい頃のファルキートのように すごいブレリアだった。
ピラールもファルーカも踊った。
凄かった。2人ともビデオで観たときより、父ファルーコの踊りに似てきていて、圧 巻だった。
そして、ファルキートの一番下の弟マヌエルもおしゃぶりをしたまま踊った。 すでにコンパスが体の中にしみついていて、ドキッとする一瞬さえあった。

最後ファルキートが飛び入りのハイロ・デ・モロン?(不確か)と2人で閉めたときに は、 もう立ち直れないところまできていた。

唯一なごんだのは、トロンボがビデオ係りで、一生懸命ビデオをまわしていたことく らいだった。

あの日のことは、一生忘れたくない。
思い出すだけでまだ涙がでてしまうけど。
私が探していた目にみえないはずのものをあからさまに目の前でみてしまった。


セビージャ日記/フラメンコが育つ土地

続々と小さいフラメンコ達が育っている。
最近、子ども達のフラメンコを観ることが何度かあった。

1月5日、Reyes Magosの夜、たまたまつけたテレビで
ヘレスの子ども達がブレリアを踊っていた。
(その番組は各地の天才子ども達がそれぞれの分野を発表していく、
というもので、フラメンコの他に歌や、バレエなどいろいろあった。)
一瞬で目が釘づけになった。総勢10人位いただろうか?
彼らのブレリアのパソ(振り、ステップ)はこれ以上ないほどsencillo(単純)なものだ。
でもその踊りに何度”ガツンと一発お見舞い”されたことか。
なんというグラシア!Ole!!!
全身がコンパスになっている。
心臓もブレリアのリズムで打っているのではないか、と思ってしまった。
”習ってできる事”は彼らの踊りの中には一つもない。

また別の日、1月18日の夜、セビージャのディスコでFamilia Farrucoの所の例の
子供たち。
(ファルキートのペーニャで踊ったファルーコ チーコを中心とする
8才から13才の5人の子供たち)のライブがあった。
(パルメーロにファルキート、カンテにファン モレーノがいた。)

ファルーコ チーコは一部でシギリージャ、二部でソレアを踊った。
ライブが進むにつれてどんどん熱をおび、すごくなっていった。
彼は絶対的なコンパスをもっている。どんなに複雑なリズムになっても
絶対にコンパスの真ん中に入れる。
最後のフィン デ フィエスタでの彼のブレリアではファルキートが弟のために
歌った。その時のブレリアはその夜の白眉だった。

ファニートはピラールの息子で、色黒の元気な子だ。いつも”パーンッ”とした
踊りを踊る。存在感のある堂々とした踊り手だ。ムードメーカーのような子だ。

ポリートはモレーノの兄弟の息子で私は個人的に彼のファンだ。
まだ8才なのに、ブレリアの時の彼は即興で素晴らしいシナリオが書ける。
センスがあるからか、歌を良く知っているからか、瞬間を見抜く鋭い眼力を持っている
からか。

ホセはファミリアの家系ではない。でもあの歳にしてすでにホセ ガルバンやマノロマリン
並みの粋な踊りを踊る。常に安定した上半身。Ole!!!

ミゲルはホセの弟、小さい体でコマのようによく回る。
彼の必殺技は、ガクンッと膝を床につけた瞬間くるっと起き上がるブレイクダンス
のような振りだ。この夜もブレリアのなかで見せてくれた。

皆、それぞれにキラキラ光る唯一無二の個性があり面白かった。

−子供の踊りを観ているとフラメンコにおいて大切な事を発見、または思い出させてくれる。
例えば、私は6年位フラメンコをやっていて沢山のパソを知っているけれど、
知っている全てのブレリアの”抜け”方を駆使しても、3歳の(ファルキートの一番下の弟)
マヌエルがやるたった一つのブレリアの”抜け”にはかなわない。
大切なのは、パソを何個もっているか、やパソ自体ではなく、
そのパソを使っていかに歌やギターと共に自分のフラメンコのアイレ(空気)やセンティード(感覚)を生み出していくかだ。
子供の踊りには独特の弾けかたがある。
何をやりたいかがとても明確なのだ。そしてそれをフラメンコの中でハッキリと言い切ってくれる。
すごく激しいけどすごく自然なのだ。
彼らは踊りを始める前から十分フラメンコの空気を吸って育ってきている。
カンテ(歌)やパルマ(手拍子)を言葉を喋る前からさんざん聴いてきている。
フラメンコのセンティードを踊りを始める前から既に知っているのだ。
この環境に生まれた人以外は逆の形をとる事になる。
でも彼ら子供たちを見る事でもいろいろと学んでいる今日このごろである。


●新たな気持ち:前編
今年に入りこの留学生活も新たな段階に入ってきた。
4月のフェリア以来、ここの人たちのフィエスタの輪のなかで踊る機会がでてきた。

驚いたことに、ルンバでもブレリアでもパレハ(2人組み)で踊ることが多い。
誰かが踊りはじめるとどこからともなくもう一人出てきて一緒に踊る。
ジャマーダをかけるタイミングや、その後どうゆう風に展開するかなど、
相手がどう出るかによって変ってくるし、初めは戸惑ったけれど新鮮で面白い!
それにしてもなんて自然に踊るのだろうここの人たちは…。

5月の19日
クラスの皆でウトレラ(地名)でギタリストのアントニオ モジャとマリー カルメンの結婚パーティーに行った。A モジャはフランスの人らしいが、M カルメンはヒタ−ナだ。
だだっ広い学校食堂のようなところでまず飲んだり食べたりして夜中の2時(貞かではない)くらいから、机がかたずけられ、フィエスタがはじまった。

響き渡る歌の輪の中、ビデオ「栄光の婚礼」のように、花嫁と花婿が人々に担がれる。
そして次の瞬間思いもしない光景を目にした。
花婿の着ていたYシャツを皆で一瞬にしてビリビリ引き裂いて剥ぎ取るのだ。
そして剥ぎ取った布を各自腕に巻いたり首に巻いたりして身につけるのだった。
さながら、ピラニアの池におちた餌食のようだった。
ヒターノの世界はまだまだ奥が深いのだった。
花婿は服を着ると直ちに担がれ、直ちにまた丸裸(上半身)にされるので大変そうだった。

広いスペースに踊りの輪ができる。
若い人達の輪はエネルギーを大発散していて、少しうるさかったので、その場をはなれ、落ち着いた輪の中に入ってみた。
するとなんと!ペパ デ べニートが歌っていた。
私は彼女の歌が大好きだ。
聴いていたら輪の中心に踊り出た人がいた。カルメン レディスマだった!
ミゲル バルガスが1才の息子を抱っこしながらブレリアを踊り、ペパ デ べニートが踊ったとき、エスぺランサ フェルナンデスが歌った。
私は幸せを感じた。
このすごいメンツに輪が大きくなり、それを見た若い集団がのりこんできてまたうるさくなったのでふたたび場所を移動した。
すると赤ワイン片手に、コンチャ バルガスがブレリアを踊っているのを目撃!
ole!!!
もう朝の5時くらいで私はほとんど意識が朦朧としていたので椅子に座って寝ていた。
誰かに起こされたので(あぁ、仮眠室に連れていってくれるんだ!)と思ってめをあけたら、友達のカルメンが、“ナオコ、踊れ!”といっていた。
わけもわからぬままむりやりひっぱりだされ、わけもわからぬまま一踊りした。
楽しかった。そして目も冴えた。
結局帰ったのは、翌日の朝8時30分くらいだった。



私は去年の6月からずっとコンチャ バルガスのクラスを受け続けている。
初めてカルボネリア(セビージャのバルでコンチャがクラスを開いてる場所)にクラス見学した時胸が高鳴った。
この地でフラメンコを学ぶんだ、と実感した。
彼女は特別なアルティスタだ。本当にフラメンコを学ぶことが出来る貴重な存在だ。

なにより大きな愛で、生徒を包んでくれる。
自分より年上の生徒にも、“オレ!ミ ニーニャ(オレ!私の娘よ!)”とハレオをかける。
ここでの生活で悲しかったことや、ショッキングなつらい事件が起こってもカルボネリアにいけばコンチャが待っててくれて、踊りを見てくれる。
彼女に何度救われたか分からない。
今では毎日カルボネリアに行って踊ることは、コンチャへの‘本日の報告’の様な感覚だ。
こんなに長いこといて、私的なことはまだ話したことがないけれど、彼女は私のことを分かってくれている。
ある日とても悲しいことがあった時、私はそのことについて彼女に一言も話さなかったのに顔にも出してなかったはずなのに、なぐさめるように急に抱きしめてくれた。
他の生徒にも、学友である私たちがまったく気付かないのにその生徒の微妙な変化にコンチャはよく気付き、それを受け止めてくれる。

彼女の振り付けは余計なものが一切ない。それだけにどう動くかがとても重要だ。
それだけにとても難しい。‘振り’をとってからが彼女の本当の授業だ。

去年から彼女は、口癖のように、“夜のカルボネリアで、お客さんの前で躍らせる。”と私達に言っていた。
でも口癖なので本気にはしていなかった。ところが…。
ある日私がクラスにいった時、“ナオコ、今週夜のカルボネリアで踊れ!息子のクーロがギターを弾く ポーラ(レブリーハの歌を歌う歌い手)が歌う。
そして私がパルマ(手拍子)をたたく。
4人でお客さんの前でやろうと思うけど、やりたいか?”ときかれた。
突然(4日後!)のことで驚いたけれど、コンチャと舞台に立てるなんて夢でも出来ないことなので急いで、“もちろん!すごくやりたいです。”と答えた。
偶然なことにそのライブをやる金曜日は6月1日。
私が去年セビージャに降り立った日だった…。(後編へ続く。)

●新たな気持ち:後編
忘れられない日だった。
私のためにすごい数の人々が助けてくれた。
あのカルボネリア(バルで今回のライブ会場)が“しーん”と静まり返っっていた。

目の前にはすごい数の人が皆、私達を観ていた。
‘決め’の度に会場が「OLE!」と響いた。
友達のハレオが沢山聞こえた。
クーロのギター、ポーラのカンテ、コンチャのパルマとハレオがよく聞こえた。
完全に皆の愛で作られた(支えられた)ライブだった。

コンチャにライブのことを聞いてから急ピッチで準備を始めた。
私はシギリージャ(踊りの名前)のクラスをとっていたのだけど、
ライブではソレア(踊りの名前)を踊るので至急ソレアのクラスも
受けることになっ た。
ソレアは去年半年やっていたし、後半の振り付けが少し変わっていたくらいだった。

衣装を持ってなかったのでクラスで同じくらいの体型の女の子から
ファルダ(スカート)を借りることになり私はマントンを買った。
付けまつげを買おうと思ったらどこにも売っていなかった。
付けまつげというもの自体、この国にないわけではないのだけど、
在庫がある店がなかった。
ここの人は確かに地毛が付けまつげのようだ。必要ないので売ってないのね…。

私の予想では、カルボネリアはいつものようにだれもライブを観ていなくて、
ざわざわした喧騒のなかそそくさと踊ってそそくさと退散するのかと思っていた。
あの様子をコンチャは知っているのかな?当日あのうるささにコンチャ怒って
帰らないといいけど…。と少し心配もしていた。
しかも金曜の夜なんて客は皆騒ぎにくるようなものだ。
でも逆にだからそんなに緊張することない。自分の中で精一杯やろう、とも思った。

コンチャは私を緊張させないために「クラスでやってることをそのままやればいい。
ただ目の前に客がいるだけの違いだ。」といっていた。確かに場所もギターも歌も
パルマも!クラスと同じだ。

当日、朝から全く落着かなかった。待っている時間がなによりも気持ちが悪い。
そわそわしたまま一日が過ぎ夜の10時カルボネリアに到着。コンチャに挨拶してから
準備をはじめる。

カルボネリアの上に住んでる友達イサベルが部屋を貸してくれた。
少ししてから次々と友達が手伝いに来るではないか!!どうやらコンチャが助けに
行くように言ってくれたようだった。
へたくそに自分でまいたマントンを直ちに剥ぎ取り、友達のけい子ちゃんとナミちゃん
2人掛かりでぴっちりと美しく巻き直してくれた。巻いてる時の彼女達の目の
凛々しかったこと!緊張してナーバスになっていた私をコンチャの10歳の娘のカルメン
がひっきりなしに喋りかけ気持ちをほぐしてくれた。イサベルも「トランキーラ
ジャ トゥ サベス トド(落ち着いて、もう全部あなたは分かってるんだから。)」と
悟ったようにコメントしてくれた。その他の友達も総出で髪や化粧のチェックをし、
席を取るために下の会場に降りていった。
私もメンバーのいるところへ行った。11時開始のはずが、いつまで経ってもコンチャ
が腰をあげようとしない。私は落ち着かぬまま準備運動をしたり振りの確認をしたり
していた。コンチャは何かを待つようにゆっくりと煙草をふかしている。不意に(こ
の人は私が落ち着くのを待ってるんだ。)と思った。11時半すぎ、会場に入った。
そして驚いた。

沢山の人がいっせいに舞台の方を観て静かに座っている。カルボネリアでは異常な事
だった。
そして1人の司会者のようなおじさんがなにか喋っている。
「本日のアルティスタ(アーティスト)は遠い日本からきました。…」 誰だ、アルティスタって?
「フラメンコのマエストラ、コンチャバルガスの生徒で…」アルティスタって誰?
「NAOKOはきっといまナーバスになっているとおもいますが…」アルティスタって私
のことだった!
どうやらこの人は私の紹介をしているのだった。なんてこった!
客席をみたら知った顔がたくさんいた。友達が友達を呼んでこの空気を皆で作って
くれたのだった。このライブをみる、という雰囲気を。皆の愛に満ちた底力を感じた。

4人が舞台に上がった。

クーロがソレアのファルセータを弾きはじめた。一生懸命練習していたやつだ。この
舞台は14歳のクーロにとっても初舞台。でも余計な緊張はいっさいなく落ち着いてい
つもらしく弾いた。ポーラが唄い出した。すばらしい唄い手だ。この人の出す線路に
乗って走ればいい。どんな気持ちの時もこの人の唄を聞くと自然にフラメンコな
気持ちに集中する。彼が2つ唄を唄った後、私は立ち上がり踊りに向かった。
(この時私の友達全員の緊張がピークに達したという。ビデオでみるとコンチャの顔も
緊張していた。皆母親のような気持ちだったそうだ。そういえば本番直前、実の母親からも
電話がきた。両親は旅行に行っていたのでこのライブのことは伝えていなかったのに、
すごい感だ!)

コンチャのすごいパルマ、ハレオ。会場からのいっせいに響く‘OLE!’
そして、静寂。ポーラのカンテ、クーロのギター。会場中のパワーを全身に受けた初めての
感覚だった。最初のほうは緊張からか少し間違えたけれど、最後に行くにしたがって、
とくにブレリア デ ロマンセにはいったら楽しくてしょうがなかった。
終わってお辞儀をして顔をあげたら、会場の皆が立って拍手をしてくれていた。
私もバックの人々に拍手をした。コンチャがギューっと抱きしめてくれた。
そしてフィエスタが始まった!
クーロがブレリア デ ロマンセを弾き始めポーラが続いてうたいコンチャが踊り出た!
“これを待ってた!!!!”また沸く会場!自然で、でもすごいパワー。満ちては引き、
引いては満るロマンセ。続いて娘のカルメンも踊った。クラスを観ていて覚えたパソを
自由に組んで踊っている。
さすが娘!彼女の踊りも自然体ですばらしい。
退場後のなりやまぬ拍手に一人ずつお辞儀しに行って、また全員舞台に戻りこんどは
カルメンの唄とクーロのギターをバックにコンチャがまた踊り出した。
もうノリノリだった!!!
最後、カルメンと私を誘い出し、3人でジャマーダをかけ、踊りながら退場した。

ライブのあと友達の皆が私を抱きしめに来てくれた。抱きしめたまま動かなくなって
しまった友達がいた。なんと彼女は泣いていたのだった。
そしてコンチャの、この濃いフラメンコの母のなんという愛の大きさ!!!
あの夜は私しか見えないものをみてしまった。皆のことがとてもよく見えた。輝いて
見えた。皆のなにかとんでもなく純粋なものを見た気がした。

後日ビデオを観た。
自分の踊りにがっくりした、なんというものではない。ひどい。なってない。
みちゃぁいられない。毎日練習しててこれか…。と悲しくなった。
それに引き換えカルメンの自然で大きな踊り!
そしてもちろん我らが大将、コンチャのパワー全開のフラメンコ!
2日位本気で落ち込んだもののこうしてはいられない、と再び新たな気持ちで練習に
向かうのだった。


直子のセビージャ日記/ Y AHORA ESTOY EMPESANDO
あさって、ついに帰国する。信じられない。
たった、1年5ヶ月弱の間に私は、10年分くらいの経験をした気がする。

生きたフラメンコを感じる事が出来た。毎日何か発見があった。
友達と沢山話した。フィエスタでは、歌って踊った。
街の人とも沢山話した。

バイレフラメンコは、踊りを越えた踊りだった。

ファルーコチーコが言った。
“フラメンコとは人生のことだ。いくら完璧に踊れてもそこに全身全霊をこめた強さがなかったら、何の意味もない。”
クラスで皆の打つサパティアートが弱く、ばらけていたとき、こんな叫びがとんだ。

“そんな音なんか‘人生’とは言えない! ”

ミゲル バルガスが言った。
“僕が一番好きな踊り手は(故)ファルーコだけど、彼のスタイルでは踊れない。
自分が彼のように踊っても少ししか感じながら踊る事が出来ない。
自分が一番感じながら踊れるスタイルは、別にあった。自分の踊りを踊る事が僕にとってより大切な事なんだ。”

“フラメンコで大切なのは、サボール(直訳は[味]でもジャズでいうと、スウィング)だ。いくら凄く難しい足ができてもサボールのあるマルカール一振でそんなもの吹き飛ぶ!”

コンチャ が言った。
“全身で踊るんだ!手の先から足の先まで。指、腕、顔、胴体、腰、お尻、足、足先、全部で踊るんだ!”
“私は本当に沢山の愛情をもってる。あふれるほどの愛情をもってる。”

彼らは皆、クラスでカンテ(歌)を歌ってくれる。
ファルキートの歌うソレアは、今まで聞いたどのソレアよりソレアだった。彼の存在自体がソレアに感じた。
クラスのあと、「あなたのカンテは素晴らしい!」と言ったら、“ただ歌がすきなんだ。でも、ありがとう。”と照れながら言った。
ミゲルも、コンチャも本当にカンテがすきだ。そして、フラメンコが好きだ。

最近クラスで、コンチャが私に言った。
“フラメンコの道はすごくながくて、進むのに時間がかかる。ナオコ、あなたに1つ教えよう。
ahora estas empesando(今、あなたの道はスタートしてるところなんだよ。)”

この留学で得た一番大きなことは、‘人の愛’の偉大さだった。そして、生活、人生、人と人との結びつき、がフラメンコ芸術の根底にあることを実感した。
素晴らしいカンテに‘Ole!’というとき、そのまま、全ての人生にたいしても、Ole!と思う。

大げさかもしれないけど、でも、この町の人々の生きるスタイルは、こうゆうもののような気がする。
そして、私も、そうゆうのが好きだ。
日本にかえって、どうなるか不安だけど、とにかく進んで行こうと思います。

では!Hasta luego!
Naoko